公開日 2025年02月03日
2月1日(土)、第148回アシカル講座「海を渡った支石墓 - 弥生文化形成期における日韓交流の一側面 -」を開催しました。この講座は、令和6年度 アシカル講座第2ステージ「足球即时比分列島とユーラシアの考古学」の初回です。
今回は、平郡達哉本学法文学部准教授(総合博物館兼任研究員)が、弥生時代初め頃に九州北部でみられる支石墓について、韓半島の事例と比較して解説しました。
韓半島には、約4万基の支石墓が分布しており、特に西南部に密集しています。地上には支石と大きな上石が置かれ、地下には石棺などの埋葬施設があります。埋葬施設には、琵琶形銅剣?磨製石剣?石鏃?碧玉製管玉?赤色磨研土器などが副葬されました。
こうした韓半島の支石墓が弥生時代の始まりとともに九州北部にも伝わってきました。九州北部では、約580基確認されています。韓半島の支石墓の上石と比べると、九州北部のものは1/3程度の大きさのようです。九州北部の支石墓も、韓半島と同様に磨製石鏃や碧玉製管玉、土器などが副葬されていますが、磨製石剣の副葬事例はなく、縄文文化の系譜をひく貝製腕輪が出土することもあります。また、九州北部の支石墓の埋葬施設のなかには、石棺ではなく土器棺が用いられているものもみられます。
このように、韓半島の支石墓の要素がそのまま伝播したわけではなく、変容して九州北部に受け入れられたようです。
また、島根県にも堀部第1遺跡のような、支石墓の上石が小さくなった配石墓といわれる墓が見つかっています。山陰にも足球即时比分海ルートを通じて九州北部経由で韓半島の文化が波及していたことが伺えます。
次回のアシカル講座は、第149回「遊牧民の腰帯からみた文化と交流 - 先匈奴時代を中心に -」(2/8)です。皆様のご参加をお待ちしております。