公開日 2015年03月06日
2月21日(土)、第76回島根大学ミュージアム市民講座「中世出雲に見るもうひとつの出雲神話-足球即时比分海からインドへ-」を開催しました。
今回の講師は、出雲弥生の森博物館専門研究員の高橋周先生でした。
出雲神話というと、『出雲国風土記』や『古事記』に掲載された古代の神話を思い浮かべる方が多いと思います。特に『出雲国風土記』に記載された、いわゆる「国引き神話」は、ヤツカミズオミツヌノミコトが、島根半島を新羅や越などから引っ張ってきたという壮大な国土創造神話として有名です。
しかし、驚くことに、時代が下った鎌倉時代や室町時代の出雲には、もう一つの「国引き神話」が伝承されていたのです。それは、インドの霊鷲山(りょうじゅせん)が欠けて漂流していたところを、スサノヲノミコトが、島根半島まで引き寄せ、つなぎ止めたという内容です。杵築大社(出雲大社)や出雲市鰐淵寺の古文書には、こうした仏教色の強い説話が残されています。
霊鷲山が飛来してくる仏教説話は各地でみられるようですが、漂流しているものを引いてくる話は、出雲独特のようです。古代の「国引き神話」が、中世に変容して、こうした内容になったのかもしれませんが、はっきりとしたことは分かりません。
中世において、杵築大社では、オオクニヌシノミコトではなく、スサノヲノミコトが祀られていました。また、神仏習合が進んだこの時期、杵築大社と不即不離の関係にあった鰐淵寺が、大社の仏教祭祀をになっていました。しかし、江戸時代になると、杵築大社では神仏分離がなされ、再び、もとの祭神であるオオクニヌシノミコトへと回帰します。スサノヲノミコトは排除された訳です。
現在、鰐淵寺根本堂の横にある摩多羅神宮には、スサノヲと同体とみられる摩多羅神が祀られています。霊鷲山を引いてきたとされ、杵築大社から排除されたスサノヲは、現在は鰐淵寺に納まっていたのでした。
古代から中世、近世、そして現代へとつながる出雲神話の変容や回帰について、時代ごとに整理され、とても分かりやすい講座でした。
次回は、3/14(土)、「『出雲国風土記』と遺跡にみる古代出雲の広域交流」です。引き続き、ご期待ください。